出てきた鶏の丸焼きは・・・
吉岡です。
ブルガリア'80s 山西の日記(2)
シャワーを浴びて、レセプションへ降りて行くと、先に一人の男が何か話している。後ろに並んで待っているとレセプションの女が、こっちへ来いと手招きする。
三人は同じグループだと言っている。同じグループではなく、別々だと何度も言うが、相手は聞く耳を持たない。仕方なくバウチャーと言うものを渡されて指示されたレストランへ向かう。
テーブルに就いて、メニューを頼むと、メニューはないと言う。仕方なく、バウチャーを渡しそのまま料理が来るのを待つ。一緒に食事をすることになった男は自分のことをインド人だと話した。一年に一度はソ連に来るらしい。貿易商だと言っている。
隣のテーブルに来た係りの女性を捕まえてインド人が何か話している。ライスをつけるように頼んだと言う。日本人は米が好きだろうと言って笑っている。前歯が欠けている。
そのうち、メインディッシュとおぼしき鶏の丸焼きがでてきた。一人一人、丸々鶏一羽が皿に載っているのだが、ずいぶん小ぶりな鶏だ。フォークとナイフでつついてみるが、食べるところが見当たらない。思わず久保田さんと顔を見合わした。仕方なく、鶏をひっくり返してみるが、内側も、あばら骨が見えているだけで、肉はない。
インド人は慣れたもので、ナイフとフォークで、骨にしがみついている僅かな肉をそぎとっている。皿の右すみに一握りの米が盛りつけてある。インド人が右手に持ったナイフでにつつきながら、米だと笑っている。やはり、歯が欠けている。肝心の米は、なんだかべちゃべちゃした感じだ。
「食べるものが有りませんね」久保田さんが言う通りだ。二人が諦めて立ち上がると、インド人が驚いたように我々を見上げて、肩を竦めてみせた。空腹を抱えて寝た翌朝の食事もパサパサのパンと干からびたチーズだけの粗末なものだった。
以下、吉岡記。
やはり、案じていた通りの、ひどい食事だなあ。ブルガリアも似たようなものなのだろうか。
末尾になり誠に恐縮ですが、ここで、10月の月間MVPに選んでいただきましたことに対し心から御礼申し上げます。これからも引き続き投稿させていただきますので、よろしくお願いいたします。
人から「堅いやつ」や「石部金吉」とも言われたりしていますが、そんなに固くはないですよ。やわらかいとこもあります。
そんなきょうの気分は「さばの味噌煮」に「肉じゃが」「数の子わさび」と「極上 吉乃川」で。
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