下戸の独り言
下戸の西川春樹です。
下戸の独り言なんか聞きたくもないとおっしゃる方も多いと思います。
一方で、なんとしても下戸の独り言が聞いてみたかったのだとおっしゃる奇特な方も稀にはいらっしゃるのではないかと期待しつつこれを書きました。
小諸なる古城の畔(ほとり) 雲白く遊子(ゆうし)悲しむ
緑なすはこべは萌えず 若草もしくによしなし。
島崎藤村の「千曲川旅情の歌」の一節です。夏の終りに早春の詩?そうですね、季節外れですが、ここはお許し下さい。
ところで、余談ですが、藤村の本名が春樹だってご存知でしたか。そう、僕の名前と同じです。僕の父が知って付けたのか、知らずに付けたのかは訊ねたことがないので知りません。
閑話休題。
藤村の詩に戻ります。この詩を学生時代に暗唱した方も多いと思います。僕も中学当時課題として暗唱させられ、すべて頭に入っていましたが今ではもううろ覚えです。それでも詩の最後は、
濁り酒濁れる飲みて 草枕しばし慰む でしたよね。
ところで、酒を詠んだ歌をあと二首。下戸の癖になんだ?ですか。まあまあ、そうおっしゃらずに。
験(しるし)なき物を思はずは一杯(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし 万葉集、大伴旅人(たびと)の酒を賛(ほむ)る歌です。
白玉の歯に染みとほる秋の夜の酒は静かに飲むべかりけり 若山牧水の歌です。
下戸の僕が諳(そらん)じている数少ない、酒を詠んだ詩歌です。藤村は旅の淋しさを酒で慰める、旅人は考えてみてもどうにもならないことを酒で紛らわす、牧水はただ静かに飲む。
僕は下戸ですから、もちろん飲めないし、ましてや飲みたいとも思いませんが、人が飲むことに関しての抵抗は全くありません。飲みたい人は飲めばいい。ただそれだけで、人に飲むことを強制して欲しくないだけなのです。
さっきからラジオを聴いています。美空ひばりの唄が流れています。
酒は涙かため息か、 心のうさの捨て所
酒は涙かため息か、 悲しい恋の捨て所
これは、藤山一郎の曲のカバーですね。
次の曲はひばりの十八番(おはこ)、悲しい酒です。
一人酒場で飲む酒は 別れ涙の味がする
飲んで捨てたい面影が 飲めばグラスにまた浮かぶ
いずれの歌も失恋の歌ですね。その恋のいたでを酒で癒す、いや、まぎらわすと言った方がいいのでしょうか。
下戸にはなかなか理解しにくい心情です。こういうときに、下戸はひたすら耐えるしかありません。酒に逃げるということはできないのです。これが、幸せなのか不幸せなのか、意見がさまざま別れるところだろうと思います。
ただ、ここでひとつ言っておきたいことは、酒が飲めないからと言って同情だけはしないで欲しいのです。僕だけがそう思うのか、下戸の誰もがそう思うのかは分かりません。話がややこしくなってきましたので、この辺で下戸の独り言は切り上げます。
ちょっと肌寒いきょうの気分は「おでん」に「なすの煮びたし」と「大根と人参のカンタン酢漬け」
おでんは、「京かまぼこ、はま一」のもの。かまぼこ屋さんのおでんだけあって練り物が格別に美味です。