さわらび家飲み塾

~きょうの気分は?~

ピッチャー骨折

河内です。 

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四年になると、卒業実験が始まります。卒業実験のテーマが掲示板に貼り出されます。学生はそのテーマの中から自分の気に入ったものを選び事務局に提出し、後日研究室が決定されます。私は熱伝導(熱の伝わり方の一つで、フライパンをガスで温めると鉄板の内側が熱くなってくるのが伝導です)のテーマを選びました。募集メンバーは4名でした。

顔合わせの日です。研究室のドアを開けて入っていくと、他の三人はもうテーブルに就いていました。羽田君、南君、それとなんと東谷君。

「これはまずい」と、私は思いました。実験は半年以上続きます。その間、鼻を付き合わせていなければなりません。岡山での実習が終わってこのかた東谷君とは口をきいたこともありません。

簡単な自己紹介が終わり、その日は解散と言うときに、南君が隣の研究室との野球の試合をやろうと言い出しました。親睦のためだと言います。誰も異存はなく、調整は南君に任されました。

試合の当日のことです。外野を守っていた南君がフライを捕って返球したあと、腕をだらりと垂れて顔をしかめています。痛がりかたが尋常ではないので、河内君と羽田君と私の三人が付き添い病院に行きました。南君はピッチャー骨折と診断されました。上腕部の骨が斜め45度に切断されたように折れたのだそうです。ピッチャーが全力投球したときなどに起こりやすいのでピッチャー骨折というそうです。嘘みたいな病名ですね。

実験が始まり東谷君と私も好むと好まざるに拘わらず言葉を交わすようになりました。そして、日ごとにわだかまりも消えて行きました。

そんなある日、私は東谷君を自宅に招待しました。私は当時、姉と暮らしていました。私逹の両親は早くに亡くなり、その後、夫をも交通事故で亡くした姉は、女手ひとつで親代わりに私を育ててくれました。

一方、東谷君は地方から上京し下宿生活でしたから、たまには家庭料理を食べたいに違いないと思い誘ったのです。

その時期は、ちょうど我々の就職が決まる頃でした。私は石川島播磨重工への就職を決めていましたが、姉は何か不満そうでした。食事が終わり就職先の会社のことが話題になりました。

「播磨という名前がね」東京で生まれ育った姉には少々田舎臭い名前だったようです。「最近はIHIと呼んでいるようですよ」と、東谷君が姉に向かって言いました。「あら、そう。アイ・エイチ・アイはいいわね」姉は楽しそうに笑いました。

そのうち、何かの拍子に東谷君が部屋の隅に置いてあったゴルフ・バッグに気付きました。ゴルフをするのかと訊かれた私は即座に否定しました。そのゴルフ・バッグは商社マンだった義兄の形見の品でした。

「そうだ。近いうちにゴルフに行ってみないか」と、僕が切り出すと、東谷君も乗ってきました。そこから先は、以前お話しした通りです。 

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もう、25年、四半世紀も前のことです。なんだか夢のようです。さて、きょうの気分は「京風だしまき」と「ビール」で。

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先日、百貨店の地下で「だし巻き卵」の缶詰を見つけ、興味本位で求めてみました。幕ノ内弁当に入っている卵焼きをだしにつけたような味で缶詰ながらなかなかいけます。学生時代にこのようなものがあったのなら、東谷君の自炊ももう少しましだったかもしれません。

   
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